カテゴリー「昔々」の記事

2018年12月 2日 (日)

旧駅跡

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エサの買い付けで湧別まで出張。1時間ならまあ割と近いですね。

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せっかくなのでずっと気になっていたところを探検してみます。

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あの日の売店はまだ元気に営業しています。

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ありましたバロウ駅。

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今や老人ホームに姿を変えておりました。

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線路の跡は見えません。

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旧湧網線跡を走るサイクリングロードはここまではつながってないようです。

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駅前通りは散髪屋が一軒あいているだけで、すっかり静かな感じになってます。

この駅には昔自転車旅行をしていた頃一晩を泊めてもらった思い出があるのですが、もう三十年になるでしょうか。

近くの売店で晩の食材を買い込んで、駅舎で夜を過ごしました。

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網走のみそぱん、いまも絶賛販売中です。

記憶の中では駅の回りは夏だったし草ぼうぼうだった気がするのですが、アスファルトできれいに舗装されていて、それがなおのこと静かな感じを醸し出しています。

その頃の駅員さんや、駅を利用していた人たちはこの老人ホームに入っているかもしれませんね。それはそれで幸せな老後なんだとおもいます。

2018年4月 5日 (木)

ジャッカ・ドフニ

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「ジャッカ・ドフニ」

懐かしい響きです。

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ガイドブックに載っていていつか行くつもりでいましたが、いつの間にか閉館していて。

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大曲の団地の奥にあったそうです。

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ごあいさつ

 かつて「北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニ」という名称の、ウイルタ、ニブフ、サハリンアイヌの文化を正しく理解してもらうことを目的にした資料館が網走にありました。

 ジャッカ・ドフニとは大切なものを収める家という意味のウイルタ語です。

 この「大切なもの」は、形あるものだけではなく、目には見えない民族の誇りや歴史、人々の気持ちもさしていたのでしょう。大勢の支援によりジャッカ・ドフニは1978(昭和53)年に開館し、以来地道な活動を続けてきました。異彩をはなったその活動は、困難な時にも、サハリンを離れた人びとの、よりどころにもなっていました。

 ジャッカ・ドフニは建物の老朽化などを理由に、2012(平成24)年に閉館し、資料は一括して北方民族博物館に収められました。(以下略)

S53~H24の間開館。司馬遼太郎も「街道をゆく」で言及しています。

ビラを配ってた頃にはまだあったかもしれませんね。そばを歩いていたはずなのに何故行かなかったんだろうと後悔しています。

この世はすべて諸行無常。なくならないものなどありませぬ。

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基本は切妻造ですが、直角に融合しているもう一つの屋根が異様です。

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この形式で鶏舎を建ててみたらと妄想します。

北海道の牛舎によく見られる「腰折屋根」(ギャンブレル屋根)も好きなんですが。

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北方民族博物館。

古代よりこの土地で風雪に耐え抜き生きてきた先人の労苦を偲びにときどき来ています。

2018年3月30日 (金)

又十藤野網走分店跡

配達の途中。

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寛政二年(一七九〇)斜里場所が開かれ、後に場所請負人となった初代藤野喜兵衛はここに広大な番屋を置いた。網走において和人が事業を行った最初であり、以後漁業を中心とした事業展開はこの地方の開拓に大きな影響を与えた。

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網走市政施行五十年記念事業 一千九百七十七年十二月 網走市教育委員会

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ここまで海岸が来てたってことですか。

寛政二年。230年ほど前。ずいぶん古いですね。

番屋の保存建築は小平町で昔に見たことがありますが、大きな物です。

小平町観光協会 http://www.town.obira.hokkaido.jp/kanko/detail/00001373.html

この建築様式は質朴で味わいがありますね。

教育委員会?の紹介ページ

http://aba.tanc.jp/History/japanese/Fujino.htm

石碑しか立ってなくても、想像すると色々楽しくなります。