カテゴリー「お肉」の記事

2015年3月 4日 (水)

道徳「生命をつなぐ」感想

先日中学校で講演したのですが、

http://peacetamago.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-b91c.html

その時に生徒の皆さんが書いた感想文を送ってもらいました。

うれしく思います。

叔母から聞いた話ですが、昔は庭で鶏を飼って年末には殺して食べていました。

そういう時代、食べることと命への感謝、引いては自分や他人への命の尊重、はつながっていたように思います。

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生産と消費の現場が離れてしまった今、そういう「痛み」を感じることが難しくなった現在はそういう意味で不幸なんだと思います。

だからこそこういう道徳の授業を構想し実施したK先生に敬意を表します。

まもなく卒業する生徒の皆さんにも、前途に幸多からんことを。

以下、道徳「生命をつなぐ」の感想です。

・今日の授業を受けて、いつも自分たちがたべているものがたべられてあたりまえのように思っていたけど、それはもともと生きていたものだから、感謝の気持ちをもって食べたりしないといけないと思いました。たべるまえの何気なくいっている「いただきます」にも深い意味があって、心をこめて言ったり、自分たちのたべるものとなったもに感謝しないといけないなと思いました。生命をたべているといったら変かもしれないけどそういうことだと思いました。

・今までにご飯を食べるときに生命について考えたことがなく、自分にとってこの機会がとても大切なものになりました。自分がどうしてご飯が食べられるのか考えると、農家、飼育の人たちに感謝して今後も生きていきたいなと思いました。すごく自分にとって大事な時間で、この授業ができてとてもよかったです。

・今まで自分は動物の肉を食べることがあたり前だと思って食べていました。でも、今日の杉村さんのお話しを聞いて、本当は命があったものを自分たちは食べているんだなと改めて思うようになりました。これからの食事はきちんと命について考え、食べていきたいと思います。杉村さんのお話しを聞いて、人生は長くないなと思いました。自分も、これからは「今、できることを一生懸命やっていこうと思いました。にわとりの寿命は10年から15年と知ってそれでも短いのに卵を生むにわとりは2年で殺されると知って人間はにわとりの4倍くらいの時間があるので、もっと大切に生きていこうと思いました。

・生きることについて考えさせられました。人間は寿命まで生きることができるけど、寿命まで生きることができるのは、命をなくされて殺されて人間の口にはこばれてくることをすごく深く考えさせられました。いただきますの1ことをしっかり言おうと思いました。生きることへの感謝の気持ちをもてるような気がしました。

・やっぱり好き嫌いはダメだなーと思いました。私は母親に何度も今回の授業のように生命をいただくことや「いただきます」の話を何度もされました。なぜ、そんなに私に言ったのか、今回の授業でわかりました。私は貝とレバーが「おぇっ」ってなるほど嫌いですが、これからはがんばって食べようと思います。そして、「いただきます」をていねいに言ってなかったので、ちゃんと気持ちをこめて言っていきたいと思いました。

・自分が普段口にしている食材には生産者の方のさまざまな気持ちがあるんだなと思いました。生産者の方が苦労して食材を生産してくれていると思うと、改めて食材に対して有り難うという気持ちをもつべきだと思ったし、残さずに全て食べきることが自分の命を犠牲にしてくれた食材のためになると思いました。

・長いことこういう話を聞く機会がなかったので、深く考えさせられました。普段特に気にすることもなく命を頂いていましたが、「ありがとう」という気持ちは忘れてはいけないものですね。今後も必ず「いただきます」と言ってから食事をしようと思います。

・今回、杉村さんのお話を聞いて僕はなんてわがままなんだろうなぁーと痛感しました。焼き肉屋で「俺もう鶏食えない」と言ってしまいました。杉村さんのお話からするとなんてことを僕は言っていたんだろうかと自分を責めました。今まで鶏についてなんて一度も考えたことがなく、鶏を飼うというのはすごく大変なんだなぁーと改めて思いました。5年ぶりとは思えない話っぷりでとても感動しました。※ 杉村さんの卵買ってみたいと思います!ww

・普段私たちがあまり気にしていないことを改めてみなおしてみると、すごいことだし、大変だと思いました。自分は生き物を殺すことなどは絶対に無理だと思うので、そういう人がいることに感謝します。今日はこのような話をしてくれてとてもいいことを学びました。

・今回の道徳の授業を受けて、自分たちがいつも食べている食べ物は全て生命からできている大切な食べ物だということを改めて理解しなければいけないということを学びました。これから食べ物を食べる時に頂きますという感謝の気持ちを忘れない事が大事だと思いました。

・いままで、食べ物が食べられるのがあたり前!!って思っていたけど、杉村さんみたいに苦しみながらにわとりなどを殺して食べ物がたべられることに感謝しないといけないと思いました。杉村さんの話しを聞いて生命のありがたみをすごく知ることができました。これから食べ物を食べるときは、「いただきます」と「ごちそうさまでした」を大切にしないといけないと思いました。

2014年12月11日 (木)

講演「生命をつなぐ」

退職したときの同僚の先生の依頼で、5年ぶりに教壇に立ち中学生相手に話をしてきました。

初生ビナから成鶏になるまでのビデオを10分間見せた後、

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初めての屠殺の話をしてから、

(この記事の内容です http://peacetamago.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-1188.html

「いただきます」「ありがとう」の意味を伝えました。

発問としては4つ。

1 うちの鶏の寿命は何年ぐらいだと思いますか。

2 「いただきます」とは目の前の食べものをいただくのですが、つまり何をいただくのですか。

3 ありがとうを漢字に直しなさい。

4 有り難うの反対語をひららがな5字で答えなさい。

こなれていないなあと反省ばかりが募ります。

30分の持ち時間を5分もオーバーしてしまいました。

前半の自己紹介の部分もグチャグチャ。

まあ、教員でなくなって新しく見えてきたことを私なりの言葉で語ったつもりではありますが、生徒達はどうだったんでしょうね。

久しぶりの教壇は新鮮でした。

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2013年9月13日 (金)

ばんごはん

ささみのソテー

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ささみの天ぷら

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おいしくいただきます!

2013年7月27日 (土)

兵士の告白

大学時代に買った詩集の一編がここ数日、頭の中で繰り返している。

「殺スノナラ
名前ヲ知ツテカラ殺シタカッタ
殺スナラ

一対一デ殺シタカツタ
殺スノナラ
機関銃ナンカデナク

素手デ殺シタカツタ」(以下略)

(谷川俊太郎「兵士の告白」より)

24日夜に栗・盆・春・秋(いわゆる「れんごう」)の淘汰対象20羽をカゴに入れ、25日9時に食鳥処理の業者さんに渡して肉にしてもらった。都合があって正規のルートを通した肉が必要だったのでこのようにしたのだが、自分で屠殺しなかったのは今回が初めてだ。

渡した後は、一日中トリたちの行く末が案じられて、今締められているのかな、今頃肉になったのかな、もう夜だから全部終わったんだろう、と事ある毎に想像して落ち着かなかった。

※ 都合というのは、将来トリ肉を商品に出来ないかといろいろ試しているところで、その試作品を作るのに必要だったのです。(いずれ皆さんにもご紹介できる日が来ると思います)

調べてみると、昨年末初めて自分の手で肉にした夏子のジロウを皮切りに、これまで69の命を終わらせてきた。たかが鶏肉とわらうなかれ。これまで生きてきて40年あまり、毎日のように鶏肉の料理なんて当たり前のように食卓に上ってさんざん食い散らかしてきたけれど、いざ自分でニワトリをトリ肉にするとなると、今でもやはり覚悟が必要で、気合いを込めて、何か一言ありがとうとかごめんとか自分を慰めるだけの声をかけて、出来るだけ切れ味のいいカッターで事を終わらせる。出来るだけ事務的に、感情を入れずに進めようと思うけれど、なかなかうまくは行かない。こんな思いをするなら、とベジタリアンに改心しようかと思う。ジャイナ教の教義を調べたり、手塚治虫の漫画を読んだりする。

そんな思いをして屠殺を続けてきたけれど、養鶏業を始めたからには、経済動物として卵を産ませて、最後はちゃんと自分で始末する、と自分の中では一本筋が通っていた。

しかし、現在520の命を預かっていて、いずれ800くらいの規模になる予定だが、これまでのように「自分で全部屠殺して、お肉を自分で食べる」というわけにはいかないことは目に見えている。

毎日365日、一日一羽、二人で食えますか? 

無理ですよね。

仕方ないのだけれど、この割り切れなさは忘れずにいたいと思い、

なんだいつものゆるゆるブログじゃねーじゃねーかとお思いの方もいらっしゃるでしょうが書いてみたわけです。

写真無し! 

終了!

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というわけにもいかないので在りし日のクロです。

いまはこれ。

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2013年3月14日 (木)

ストッカー

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念願の冷凍ストッカーを中古で入手

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去年の秋からいつかは…と考えていたものです

中味?

もちろんお察しの通りです。

2013年1月30日 (水)

うまそう

小学生の頃、大好きなアニメが確か毎週火曜日午後7時半にやっていて、ある登場人物の口癖が「それ食べられるのか?」で、まだ小さい子豚をもらってきて「うまそう」と名付けて可愛がっていたのが印象的でした。

自分が育てたものを最後に食べる、ということは子供の私にもわかりました。

最近、うちのトリもうまそうに見えてくるようになりました。

一日一羽のペースでお肉にしてます。昨日は午前中いっぱいかけて4羽をお肉にしました。

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ムネ、ササミ、美味しくいただいています。

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鶏ガラのスープでつみれ汁。

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これで鶏肉はお金を出して買わなくて済む!と思いきや、
モモ肉は、従来の調理法では筋が硬くてちょっと難儀してます。

一般的な鶏肉(ブロイラー)は、約8週間だけ育てて太らせて、すぐ食べるんですが、
ウチのトリは、夏子の場合、2年半もの長きに渡って生きてきました。

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その間じゅう地面を走り回っていたので、肉質が違って当然です。

ところで、私のこの動物好きの血は父親から受け継いでいます。

その父ももう早くに亡くなってしまっているのですが、大阪府池田市の生まれで、家は農家ではなかったようなのですが、鶏を飼っていて、正月のご馳走のために、暮れには、「今年はどれをつぶそうか」などと家族で話して、1羽を締めて羽をむしり、たきびで細かい毛を焼いて、吊して血抜きして、あとは祖母が解体して料理していたそうで、「かしわごはん」が祖父の好物でした。

「鶏はほんとに身近な生き物だった」と叔母が話してくれたことがあります。

ニワトリが文字通り「庭鳥」だったんですね。今でこそ「トリをつぶす」ということは非常に珍しいことになってしまって、だからこうしてブログを書いてるわけです。

夕べ圧力鍋で炊いたところ、柔らかく美味しくなりました。

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一番手強いはずのがモモ肉の下半分(スネ)なんですが、牛テールの煮込みみたいな食感。

以前にも、塩麹に漬けたり、キウイに漬けたりすると柔らかくなりました。
このあたり、まだまだ試行錯誤中でレシピ完成にはもう少し時間がかかりそうです。

2013年1月20日 (日)

始末をつける

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平成22年6月に来た初めてのヒナ「夏子」も3度目の冬を迎えました。

2年と6ヶ月飼ったことになります。

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相変わらず、毎朝もらえるエサを楽しみにして暮らしています。

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でもタマゴはぜんぜん産みません。

長くこの夏子を飼い続けてきて、ようやくニワトリの生態が分かりました。

ニワトリは、2度目の秋を迎えると減産、休産するようです。

本来ヒナを育てるためにニワトリは産卵するもので、こんな真冬に産んでもヒナは育てられないのですから産まないのが本来の野生の姿でしょう。

それを、人間の役に立つ家畜として品種改良をしてきた結果、生後6ヶ月目から、夏でも冬でも関係なくポコポコ産み続けるようになりましたが、それも長くは続きません。

2度目の秋になると本来の姿を取り戻すわけです。

ましてや夏子は3度目の冬。

実は去年の冬、タマゴがどんどん減って、夏子を飼い続けるのを止めようかと迷ったことがありました。

・24年1月18日 http://peacetamago.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-7968.html

・24年1月24日 http://peacetamago.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-fe7f.html

この時はグズグズためらっているうちに産卵数がV字回復したため、夏子の始末をつけるという話は沙汰止みになりました。

しかしこの冬は、産卵が完全にストップしました。

12月20日を最後に、30羽いるメスが全部産むのを止めました。

少しでも産んでいればまた今年もためらっていたかもしれません。

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「もういいわよつぶしなさい。」と言っているようにも思えました。

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実は、去年ちゃんとつぶして新しいヒナを入れておかなかったために、この秋からたまごが極端に減り、お客さんに約束の数をお届けできずご迷惑をかけています。

年末の12月30日、お正月に焼き肉をするという大義名分をつくって、夏子を、少しずつ始末をつけることにしました。

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今まで、不慮の事故などでしんでしまった子を、死因を確かめるため解体したことはありましたが、自分で手を下したことはありませんでした。

屠殺の経験は、就農前の研修で1回、就農後は養鶏会の研修で1回あります。解体するのはいいのですが、命をとるという、その行為は慣れていませんでした。

頸動脈にナイフを当てて失血死させるのですが、自分が今からこいつを殺すんだなあ、ということを感じたり、自分がこのニワトリだったら今どう見えているんだろう、とか想像し始めたりして、かなり躊躇し涙も流れ時間だけが経ちますが、謝ってみたり一人でかけ声をかけてみたりしてなんとかその行為を終えました。初めて自分がヒヨコから育てた子を自分で殺して肉にしました。(今書いていて気づいたのですが、このあたり自分が教えていた『平家物語』「敦盛の最期」と似ていますね)

私はベジタリアンではありませんからもちろん今までたくさんの肉を食べてきました。今回、「肉を食べる」ということと、「命をとる」ということを結びつけたわけですが、重いものでした。

もう後には引けません。新しいヒヨコが4月に来るので、毎日1羽のペースで、2月の中旬までに夏子の始末をつけます。秋子も3月中にはいなくなります。もう割り切りました。朝のエサやりのあと、少しずつつぶしています。

ただ刃を入れる瞬間は考えるとさすがに辛いので、何も考えず一言謝って、淡々と済ませています。屠殺というのは残酷な行為だとも感じていましたが、肉を食べる以上だれかがその残酷なことを肩代わりしているだけで、これまでお金を出して買っていた以上自分が「ころさせた」とも言えるわけです。人任せにせず自分でできる、というのはある意味幸せなのかも知れません。

ニワトリたちは従容と私の手にかかってしんでくれます。食べるということの意味が自分の中で大きく変わりそうです。

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